はじめに

2023年は、関東大震災(1923)からちょうど100年になります。

耐震設計・耐震技術は、関東大震災後に誕生してから、100年にわたり急速な進歩を遂げてきました。

しかし進化の一方で、時代ごとの大震災の襲来が耐震設計方法の不完全さを知らしめることもありました。

今回はその導入として、1923年~1950年までの日本における建築構造解析の歩みについてまとめてみました。

「建築構造設計技術や歴史に興味がある方」はぜひご一読ください。

(間違っていればご指摘ください。)

剛構造か、あるいは柔構造か(1924~:柔剛論争)

日本では1923年の関東大震災後の1924年に「市街地建築物法」が改正され、震度法(水平深度k=0.1)が導入されました。

同時に1924年ごろから「柔剛論争」が起こっています。

読んで字の通り、建物自体が「柔らかい方がよいか、剛強で硬い方がよいか」という論争です。

一見すると『剛強で硬い方がよいのでは』と思いがちですが、物理学のエネルギーの考え方を元にすればどちらともいえないことがわかってきます。

エネルギーとは「力」×「変位」なので、変形が大きく柔らかいほどエネルギーを建物が吸収できることを意味するからです。

本来は何を基準として硬いのか、柔らかいのかを示して考えるべきですが、今回の年表は便宜的に下記のようなまとめ方としてみました。

  • 剛構造 = 耐震設計 : 地震に”耐える”構造
  • 柔構造 = 免震設計 : 地震を根本的に”免れる”構造

年表を見てもらえばわかる通り、当時の柔剛論争において優位に立ったのは、「剛構造」です。

これは柔構造において、現代で利用されている積層ゴムなどの性能が信頼できる構造素材がないこと、当時の解析は手計算であり、計算における変数の多い柔構造は正確に計算し得なかったことに起因すると言われています。

実用的な耐震計算の開始(1933年:鉄筋コンクリート構造計算規準)

1933年に建築学会より鉄筋コンクリート構造計算規準が示され、その中で「 横力分布係数法 」が武藤清博士によって示されます。

この計算方法により建築物の実用的な耐震計算が初めて可能になったと言われています。

度重なる地震被害(1944年~1948年:東南海地震・南海地震・福井地震)

耐震設計の研究を進める一方で、度重なる地震により被害に見舞われます。

  • 1944年 東南海地震 : 家屋被害と地盤の相関関係が注目された。
  • 1946年 南海地震  : 中部地方から九州まできわめて広い地域に被害
  • 1948年 福井地震  : 震度階にⅦ(激震)が追加された。

いずれも当時の耐震設計法は、不完全であることを知らしめました。

「強度」という言葉の導入(1950年:建築基準法施行)

1948年の福井地震を受けて耐震構造研究が盛んに行われるようになり、

1950年に「 建築基準法 」が施行されます。

設計震度 k = 0.2 以上が法的に定められ、耐震設計方法も整備されました。

参考にした書籍の著者である秋山宏教授の言葉によれば、1950年の建築基準法施行により日本に ” 強度 ” という言葉が導入されたと述べられています。

おわりに

今回は、1923年から1950年までの日本における構造解析技術の変遷をまとめてみました。

戦後復興を背景として建物建設の需要の高まりとともに研究が盛んになり設計技術が発達する一方で、大地震による被害により現実を思い知らされることも多い時代であったのかもしれません。

次回は1950年以降~1982年の新耐震設計法をまとめていきたいと思います。

参考文献

秋山 宏  著(1999年) エネルギーの釣合に基づく建築物の耐震設計

柴田 明徳著(2010年) 最新耐震構造解析<第2版>